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【永遠の疑問】受験って何の意味があるの??

受験
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本日は非常に抽象的ですが、
表題の件書かせていただきます。

私自身長いこと塾講師をさせていただきながら、
現在は自身で塾を経営しています。

業務内容として
学校の補習などもしてきましたが、
大部分は受験対策です。

ただ、
「受験って意味なくない??」
という意見が多いのも承知しています。

古文漢文といった今は使わない言葉やら、
日本史世界史の細かい年号やらを覚えるのであれば、
ネットリテラシーやら
マネーリテラシーやら、
生きていくのに必要なことを勉強した方がいいのでは
という趣旨だと思っています。

受験で何を問うべきなのか、
というのはまた別の論点にはなりますが、
本日はそもそも受験ってどんな意味があるのか、
私なりに思うことを書かせていただきます。

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子どもたちに訪れる最初の試練

私は、受験を標題の通りとらえています。

私自身まだまだ若輩者ですが、
人生にはその後の生活まで変えうる
大きな試練がいくつか訪れると思います。

就職活動、昇進をかけた案件、起業、転職などなど。

その中でも人生の一番最初にくるものでかつ、
人生の中でも特に大きな転換点が、
この受験というイベントだと思います。

子どもたちは
まだ成熟しきっていない不安定な精神状態で、
この受験に挑むことになります。

模試の成績が良しあしに一喜一憂するし、
ネットの書き込みにメンタルを引きずられます。

そんな中で勉強という多くの人にっての苦行に、
他の多くの誘惑を断ち切って
挑まなければならないのです。

正直、私が指導させていただいた子どもたちの中には、
というか多くは、
そこら辺の社会人の自己研鑽以上に
時間を割いて勉強しています。

受験生であれば学校に行く前の朝の時間に勉強し、
学校から帰ってから一息つく間もなく塾へ向かい、
塾から帰ると日付が変わるまで復習に追われます。

かなり自分を追い込まなければ
こういった生活習慣は身に付きません。

確かに、受験の良し悪しは
点数という結果のみで判断されます。

しかし、私はこういったプロセスも
大きく評価したいと思っています。

友だちが学校終わりに遊びに行っているところを横目に
塾に向かい勉強をした、
家族がテレビを見て談笑しているその声を聞きながら
自分は机に向かって真摯に努力を続けた、
そういった経験が無駄になることがあるでしょうか。

心身ともに疲れた状態でもしっかりと自分を律し、
将来のために行動できるというこの習慣こそが財産だと思います。

こうやって受験を乗り越えた生徒は、
必ず高校大学、社会人になった先でも、
将来を考えて行動することができます。

もちろん、今申し上げた「受験を乗り越える」ということが
志望校合格のみをさしているわけではないということは
こちらを読んでいただいている皆さまには伝わっているかと思います。

努力の本当の意味って…??

いくら私がプロセスを評価します、
といっても、
それでその生徒が志望校に合格するわけでもないですし、
当の本人にとってはあまり慰めにならないと思います。

当たり前ですが、あくまで志望校へ行けるかどうかは、
受験の点数、つまり結果のみで判断されるのです。

つまり、受験に不合格であれば、
他の自分より努力しなかった者と
同じ学校に進学することになります。

そして次の受験、あるいは就職活動では
基本的な違う内容を勉強することになりますので、
それまでの受験の知識を使うことができない、
つまり他の生徒と同じラインからのスタートになります。

これを聞いてどう思いますか。

「受験で不合格だったら、それまでの努力って使えないじゃん。」
そう思われなかったでしょうか。

実際はそうではないということは前述の通りです。

しかし、本人にとってはその通りです。

合格すれば努力が報われる、
不合格であれば努力が水の泡になる、
こういう意識でしょう。

この前の章の記載は第3者、
私からの視点ですから、
こう思う当人が悪いとか間違っているとか
そういうことを言うつもりはありません。

むしろ、努力するということは、
こういう思考のもとに
どれだけ行動できるかということだと思っています。

努力しても100%成功するとは限りません。

これは、受験に限ることではありません。

仕事においても、
どれだけ準備をしても先方の状況次第で
進捗が止まったり、商談がうまくいかなかったりします。

しかし、それでも、
入念に準備しなければならないのです。

成功しない可能性があることを理解しながらも、
成功する可能性にかけて努力できる人だけが、
成功することができると思っています。

それは、こうやってブログを書いている私自身もそうです。

このブログも最初は見てくれる人なんていなかったですし、
将来ちゃんと見てくれる人がいるかどうかなんてわかりませんでした。

しかし、いつか役に立つことを信じて書き続け、
やっと見てくれて、
そして私の経営する塾に入塾いただく方が出始めました。

この記事も、どれくらいの人が見てくれるわかりませんが、
たくさんの人が見てくれることを信じて
一生懸命書いています。

すみません、少し自分語りになってしまいましたが、
努力とはそういうものだと思っています。

そして、それを最初に試されるのが受験です。

確かに不合格になれば、
そんな勉強しなくてよかった、
って結果になるかもしれません。

それでも、勉強するのです。

いや、「だからこそ」勉強するのです。

これから長い先、
努力を100%評価してくれることなんて多くありません。

ですから、評価されない可能性を認識しながらも、
とことん努力する練習をするのです。

受験当日の生徒の後姿を見て

今でこそ、受験当日の朝に
生徒の受験校まで押しかけて
直接応援するということはしなくなりましたが、
私が早稲田アカデミーなどの塾で指導していたときは、
それが当たり前でした。

おそらく、大手塾であれば
今でもやっていると思います。

各塾の講師がそれぞれの塾で縄張りを確保し、
受験に向かう生徒を握手と熱い一言で送り出します。

それはそれで、かなり異様な光景というか、
特殊な雰囲気だなと感じていました。

そんなことはいいのですが、

私はこの受験応援に参加したとき、
当然自身が指導させていただいた生徒にも声をかけるのですが、
そのときの生徒の顔つきといえば、
毎回感慨深いものがあります。

思えば小学4年生から、
分数の足し算引き算から一緒に勉強した生徒が、
気づけば大人でも頭を悩ませるような問題に
チャレンジしていきます。

そしてその結果はその後の人生を大きく左右します。

正直大人でも冷静でいられないです。

しかし、子どもたちは堂々と、
凛々しく受験会場に向かっていくのです。

その姿は本当に頼もしくなったなと、
毎回少し感動してしまいます。

それと同時に、
正直その子の受験は「成功」したなと思ってしまうのです。

その成長を見てしまうと、
むしろ受験の合否なんか小さいことのように思えてしまいます。

万が一不合格でも、
それを乗り越え、むしろ糧にして生きていけるだろうと、
そう思ってしまうのです。

だから、私は受験が好きで、
そしてこの仕事が好きなんだと、
改めて思っているところです。

まとめ

さて、本日は自分語りがほとんどになってしまいました。

受験にはこういう思いがあって
指導にあたらせていただいているということを、
少しでも理解いただけるといいかなと思っています。

そして、昨今の受験を
「受験戦争」やら「詰め込み教育」やらと一方的に非難するような人には、
こういった実態や子どもたちの変化を見てから言ってほしいなと
切に願っています。

もちろん行き過ぎた受験教育、
例えば体罰じみた指導や精神が壊れ切ってしまうほどの追い込みは
肯定されるものではありませんし、
私もそれはあってはならないと思っています。

しかし、一部の顕著な例を挙げて全体を批判するのは
論理的ではありません。

私はこのような風潮、流れがあってもなお、
受験、特に一般受験が好きですし、
きっとこれからも好きでいるんだと思います。

【紹介】(附属高校受験ならお任せください!)オンライン個別指導塾 橋本

日々こうして受験や勉強についての情報を発信させていただいておりますが、
私自身で附属高校受験を中心としたオンライン個別指導塾を経営しております。

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【附属高校受験ならお任せください!】オンライン個別指導塾 橋本 | 【附属高校受験ならお任せください!】オンライン個別指導塾 橋本 (aspirationalregularworker.com)

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