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私が総合型選抜(AO入試)を嫌いな理由

受験
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私は、総合型選抜(AO入試)が非常に嫌いです。

逆に、一般受験は好きです。

ここで勘違いしないでいただきたいのは、

総合型選抜(AO入試)という制度を使用して
大学に入学するということ自体を否定するつもりはありません。

また、私が指導させていただいている生徒が実際に総合型選抜(AO入試)を利用したいと言えば、

それはむしろ応援致します。

ただ、その制度自体はどうしても好きになれません。

その理由について、少し話させていただければと思います。

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総合型選抜(AO入試)の趣旨って??

まず、総合型選抜(AO入試)の趣旨について、

私の解釈ですが、話していこうと思います。

そもそも、総合型選抜(AO入試)って何って話なのですが、

いわゆる推薦入試的なニュアンスだと思っています。

(私自身総合型選抜(AO入試)にそれほど関心がなく、

間違っていたらすみません…)

高校の評定がいいとか、

英検などの資格を持ち何かしらの能力に特化しているとか、

資格以外にもスポーツなどで全国大会に出たとか、

高校で生徒会長をやっているとか、

そんな入試以外の能力を評価し、

面接や小論文だけで判定する入試方式のことです。

これは、必ずしも人の能力は入試の良しあしだけで決まるものではないために、

各方面で優れた人材を募集することで多様な人材を確保しようと、

そういった趣旨だと解釈しています。

繰り返しますが、私の勝手な解釈です。

多様な人材とは…

これは完全に私個人の考えです。

反対意見もたくさんあると思いますし、

これ自体が正しいと思っているわけではありません。

何か検証をしたわけでもありません。

それをお含みおきいただいて、先を読み進めてください。

総合型選抜(AO入試)で多様な人材が集まるのか、

という話です。

もちろん、スポーツが得意だとか、

生徒会長としてリーダーシップを発揮してきたとか、

そういう人が集まってくるかもしれません。

ただ、一般入試で受験する人に多様性がないかと言われると、

私はそうではないと思います。

一般入試を目指す人は同じ入試の問題を解き、

同じ合格点を目指しますが、その過程はさまざまです。

バックグラウンドもさまざまです。

その中で、どうにかその人の事情の中で時間を捻出し、

受験勉強を進めてきた、その努力の過程こそ、

多様性と言えると思っています。

多様性とは、表面的に性格がどうとか、

能力がどうとか、そういう話ではないと思うのです。

(そもそも多様性とは…という話抜きにできる話ではないかもしれませんが…)

また、多様性はあってもそれを特化させていくことが必要です。

どれだけ突出した才能があっても、

それを活かすことのできる努力が無ければ大きな意味を成しません。

そういう意味でも、一般入試を潜り抜けてきた生徒たちには、

自身の多様性、才能を開花させるだけの能力があると

評価することはできないのかなと思っています。

私自身で書いていてい、一般入試が好きと言うこともあり、

だいぶ肩入れした文章になっていることは否定しません。

そういう思いでいるんだな…

と読んでいただければと思います。

総合型選抜(AO入試)の実態

とは言え、

いやいや、スポーツで活躍している人や英検などの資格を持っている人だって

努力してるし、そういう意味では変わらないのでは、

という人がいることも承知しています。

なので、ここからは建前ではなく実態の話をしていきます。

総合型選抜(AO入試)って、

これまで書いた通りだと、

上記のように勉強以外に何かしら突出した才能を持っている人を

集める入試形態だと話しましたね。

ただ、何かしらの入試があれば、

その対策を立てられるのが「塾」というやつです。

高校時代の実績が評価されるのであれば、

評価されやすい実績を作ればいい、そういうことです。

総合型選抜(AO入試)専門塾、というものがあるのをご存じでしょうか。

総合型選抜(AO入試)の対策を行う塾です。

え、総合型選抜(AO入試)の対策??

そう思われるかもしれません。

高校時代にやったことをありのまま話す、

総合型選抜(AO入試)はそうではないのです。

評価されやすい実績を作り、

小論文の書き方を学び、

面接の受け方を学んで、効率的に入学するのです。

例えば、私みたいな家庭教師が、

総合型選抜(AO入試)の対策をすると言って生徒を集めるとします。

その生徒の希望学部にもよりますが、

私自身が担当している小・中学生の指導をその総合型選抜(AO入試)を受ける生徒に

ボランティアとしてしてもらいます。

そうすることで、その生徒はボランティアで、

小・中学生の指導をしたと実績を作ることができます。

これを元に、

「私は教育学部に入って教員を目指し、未来を担う人材の育成に携わりたい。

実際に自身で教育に関するボランティア活動を通してそう思いました。」

と書くことができるということです。

まあもちろん、

全部が全部こういう作り上げられた実績であると言うつもりは毛頭ありません。

ちゃんと高校時代に一生懸命頑張ったことを正当に評価され、

大学に入学されたという方が読まれたら少し不快に感じられるかもしれません。

それは、本当にすみません。

でも、私が申し上げたいのは、

こういう受け方もできるし、

実際にこれと変わらないようなことをやっている専門塾が存在するということです。

だから、結局それって突出した才能を評価とか、

多様な人材を募集するとか、そういう話につながるのか、

って思っているということです。

結局、評価される実績作りを各々でするわけですから、

むしろ多様性が無くなると思っています。

高校時代の課外活動から面接・小論文の作り方からすべて指導され、

評価されやすいよう作り上げられた受験生のどこに多様性があるというのか、

と思ってしまいます。

これは少し言い過ぎかもしれませんが…

本心は、こんな感じです。

いろいろ意見はあると思いますし、

冒頭申し上げた通り、

私個人の意見だと思ってください。

まとめ

本日は、総合型選抜(AO入試)について記載させていただきました。

偏見たっぷりで申し訳ありませんでした。

私が受験というものが好きな理由は、

努力が正当に評価される場だと考えているからです。

もちろん、家庭の事情やら、

立地やらで、全国の受験生全員が全員、

完全に平等かと言われればそうではないかもしれません。

それでも、その後の就職活動やら就職先の社内での評価やらに比べれば、

よっぽど努力した分が客観的に、正当評価がされると思っています。

そんな受験に、総合型選抜(AO入試)という

表面的な実績を過度に評価する入試形態を、

私は嫌いである、ということです。

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